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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)985号 判決 1969年2月03日

原告 立田花子

<ほか三名>

原告ら訴訟代理人弁護士 上田誠吉

被告 田中一子

右訴訟代理人弁護士 松下幸徳

斎藤弘

主文

1  被告は、原告立田花子に対して金二〇〇万円、同立田緑、同立田光及び同立田栄に対して各金三〇万円並びに右各金銭に対する昭和四二年二月二三日からそれぞれ完済まで年五分の金銭の支払をせよ。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告ら

1  被告は、原告立田花子に対して金三〇〇万円、同立田緑、同立田光及び同立田栄に対して各金七〇万円並びに右各金銭に対する昭和四二年二月二三日からそれぞれ完済まで年五分の金銭の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二、被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

(原告らの請求原因)

一、当事者

(一)  原告立田花子(大正一四年八月二三日生)は、昭和二四年に○○女子専門学校を卒業し、昭和二七年三月一五日に立田一郎(昭和三年一一月一一日生)と事実上の結婚をし、昭和二八年八月一一日婚姻の届出をした。現在、原告花子は、○○○市の保育所に炊事婦として勤務し、一郎は、○○○の教員をしている。

(二)  原告立田緑(昭和二八年一一月二〇日生)、同立田光(昭和三一年四月一八日生)及び同立田栄(昭和三六年二月一六日生)は、いずれも原告花子と一郎との間の子である。

(三)  被告(昭和二年八月一一日生)は、昭和二二年七月五日に田中哲と婚姻し、その間に京子(昭和二三年三月二四日生)及び孝(昭和二五年四月三〇日生)が生れた。被告は、昭和○○年度後半期の○○賞を受賞した作家である。

二、加害行為

(一)  被告は、昭和三八年夏ごろから一郎と交際があったが、夫哲との不仲を訴えて語りあううちに急速に親しくなった。一郎は、被告からの結婚の申入をことわりきれず、昭和三九年二月ごろ、原告花子に対して、離婚したい旨を申出たが、しばらくして飜意した。そして、同年三月二九日、原告花子夫婦、被告夫婦、被告の母安田俊子らが協議をしたが、その席上、一郎は、被告に対して、離別の申出をしたところ、被告は、これを承知しなかった。

(二)  その後被告は、○○賞を受賞して、作家としてある程度の収入をえることが予測されるようになったが、一郎の出奔によって原告らの妻子としての権利が害されることを知りながら、経済上の理由と妻子に対する背信のため逡巡する一郎に対して、経済上の支援を約束して、出奔して同居することを促した。その結果、一郎は、昭和四一年三月二九日、事前に原告らに何ら事情を話すことなく、突然家を出て、原告らとの家庭生活を捨て、やがて、○○区○○町○丁目○○番地○○荘において、被告と同棲を始めた。

(三)  その後一郎が有夫の女性と同棲することは、教員としての職を失う危険があった等の事情があって、被告は、昭和四一年夏○○の実家に戻った。しかし、一郎は、昭和四二年三月ごろ、○○○市○○○に住宅を購入して、被告との共同生活を再開し、現在に至っている。

(四)  結局、原告らの家庭生活は、一郎の出奔によって完全に破壊されてしまい、原告花子は、昭和四二年一二月一一日、やむなく一郎と調停離婚をした。一郎が上記のような行動に出た主たる原因は、被告の不倫な誘引にある。

三、損害

(一)  被告の前記加害行為によって、原告花子は、夫の貞操を要求する権利を、原告緑、同光及び同栄は、父の保護を求める権利をそれぞれ奪われたが、そのほか、原告らは、妻としてまた子として、夫・父とともに共同して家庭生活を営むことを求める親族権、精神的平和を侵害され、たえがたい精神的苦痛を蒙った。

(二)  民法七一〇条に精神的損害として列記されたものは、限定的なものでなく、ひろく人格的利益を含んでいるが、原告らの侵害された親族権もまた人格的利益の内容をなすものといってよい。

(三)  原告らに対する慰藉料は、原告花子につき三〇〇万円、その余の原告らにつき各七〇万円が相当である。

四、よって、原告らは、被告に対して、それぞれ前項の各金銭とこれに対する昭和四二年二月二三日(訴状送達の翌日)から完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。

(被告の答弁)

一、請求原因第一項中、(一)のうち原告花子の学歴及び職業は知らないが、その余は認める。

同第二項中、(一)のうち被告が一郎と交際していたこと、一郎が原告花子に離婚を申出たこと、原告ら主張のような人々が協議したこと、(二)のうち被告の○○賞受賞、一郎の出奔と被告との同棲、(三)のうち被告が実家に戻ったこと、(四)のうち調停離婚の点はいずれも認めるが、その余は否認する。

同第三項中、(一)のうち原告花子が夫に対し貞操を要求する権利が侵害されたことは認めるが、その余は否認する。

二、一郎が出奔するまでの経緯は、次のとおりである。

(一)  昭和三五年四月、一郎が被告の長男孝(小学四年生)の担任教師になった関係で、被告と一郎とが知り合った。以来孝の卒業(昭和三八年三月)まで、両人は、数回話し合ったり、食事をしたりしたが、児童の母と担任教師としての交際を出なかった。

(二)  昭和三八年六月八日、孝の旧クラスの母親有志が一郎の招待会を開き、被告も出席した。その帰途、一郎は、被告を送って来て、被告に慕情を抱いていたことを打開けた。

(三)  同年七月末、被告は一郎から「あなたが好きだ。もし何十年か先双方が独りで残ったら一緒になりたい」旨の手紙を受取って驚いたが、半月後に「友人として交際願いたい」旨の返事を出した。

(四)  同年九月から、一郎は、家庭教師として世田谷区用賀に通うようになったが、その帰途に週一回位の割合で、被告と喫茶店で会ったり、食事をしたりして話し合った。その度に、被告は一郎から恋情のこもった手紙を渡された。

(五)  同年一一月中旬、一郎は、二人の関係を、友人としてのつきあいや各自の家庭を破壊しないことから更に進めることを提案し、被告も、一部の情熱に抗しきれずに、これを受諾したかたちになった。それ以来一郎は、両人の今後の生活について計画し、消極的な被告に対して、再三、このまま推移すれば、周囲の説得・哀願を受けて受身になるから、積極的に家出・肉体関係の方法をとることを主張したが、被告は承知せず、しばらく様子を見ることになった。

(六)  昭和三九年二月上旬、一郎は、原告花子に対して他の女性を愛していることを告白し、被告も、夫哲に離婚したい旨を申出た。

(七)  同年三月二九日の協議の席上において、一郎と被告は、周囲から別れるべきであると説得され、一郎は、原告花子、被告の夫、母に迫られ、追いつめられた挙句、これまでの縁と諦める旨発言した。被告は、ただ茫然としていた。

(八)  同年四月六日、被告は、一郎から、三月二九日のことを詑びた上、このまま別れることはできぬ、会ってくれとの電話を受けた。そして、月に一・二度会って、お茶や食事をともにする程度の交際が続いた。

(九)  ところが、一郎は、昭和四〇年六月ごろから、再び被告に対して一緒に生活したい旨の申出をするようになった。被告は、前回のこともあって躊躇したが、一郎から「前回は自分が裏切った形で挫折したから、今度あなたがその期に及んで断っても恨みには思わない」とまで云われて、徐徐にその決意をかためた。

(十)  同年一二月七日、一郎は、被告に対して、次のような決行の方法を示した。

(イ) 一郎は、葛飾区内に転勤の申出をする。

(ロ) 転勤先がきまり次第、その近くに部屋を借り、四月から入居する。

(ハ) それまで、原告花子及び哲には気取られぬようにする。

(十一)  昭和四一年二月末、一郎の転勤先がきまった。同年三月中旬、一郎と被告は、○○区○○町の○○荘の一室を賃借した。この期に至っても、被告としては、不倫な生活に入ることへの後ろめたさと哲や原告花子の仕打ちを考えると、不安が先立って決心がつきかねた。そのため、双方が家を出て様子を見ようとの意見を出したが、一郎の聞き入れるところでなかった。かくて、決行の日が三月二九日と定まった。

(十二)  一郎は、同年三月二九日家を出、旅先から原告花子に宛てて、追わないでほしいこと、給料は従来どおり送ること、許してくれ等を記した手紙を送り、同年四月三日から○○荘に入った。被告は、家庭内の整理をして、同月二三日に一郎方に入居した。

以上の経緯から明らかなように、本件は、終始一郎のリードのもとに事が運ばれ、被告は、一郎の強引ともいえる熱意にほだされ、関係を持つに至ったのである。被告が、原告花子を害する意思で一郎を誘惑したり、原告らの家庭を破壊するために一郎を引留めたことはない。また、被告は、昭和四一年八月以降、○○市の父方に居住して、一郎とは共同生活をしていないし、一郎に対し離婚するよう働きかけたこともない。したがって、一郎がその後原告らの家庭に帰らないこと、あるいは、一郎と原告花子が調停離婚したことについて、被告の責任を問われるいわれはない。

三、被告と一郎とが共同生活に入ったについては、原告花子にも多少の過失がある。すなわち、

両人の関係が原告花子に判明してから、昭和四一年三月の一郎の家出まで約二年間あったから、その間、原告花子としては、十分一郎に注目し、その愛情を回復するよう努力すべきであった。しかるに、原告花子は、一番大切な時期に勤めに出て、家を留守にしている。このことは、明らかに一郎を遇する態度に欠けるものがある。

四、被告は、本件不法行為(原告花子との関係での貞操侵害)による責任を実質的に果している。すなわち、

一郎は、原告花子との調停離婚において、その収入のほとんど全部を慰藉料及び養育費として原告らに送金することを約束している。送金後の残金は一ヶ月四、五千円であるから、被告は、責任上文筆収入の中から一ヶ月平均二万円を一郎に援助している。換言すれば、被告の一郎に対する援助がなければ、一郎の原告らに対する送金は不可能であり、このことは原告花子自身よく知っている。原告らが間接的に被告からの援助を受けつつ、本件訴訟を維持することは、権利の濫用というべきである。

五、民法七一〇条は、人格権侵害の規定であるが、人格的利益のすべてを含むものではなく、独立して保護するに値するほど内容が明確なもの、すなわち、同条に列挙された身体・自由・名誉のほか、これと同程度に保護に値する生命・貞操・離婚・氏名・信用等に限定される。原告らの主張する「共同して家庭生活を営む」親族権等は、あまりにも権利としての明確性を欠き、独立して保護に値する利益には含まれない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

原告花子と立田一郎(但し、離婚後大田姓に復した。≪証拠省略≫)とが昭和二七年三月一五日に事実上の夫婦になり、昭和二八年八月一一日婚姻の届出をしたが、その間に、昭和二八年一一月二〇日原告緑、昭和三一年四月一八日同光、昭和三六年二月一六日同栄が生れたこと、被告と田中哲とが昭和二二年七月五日に婚姻した夫婦であり、その間に二子があること、被告が昭和○○年度後半期の○○賞を受賞した作家であること、一郎が昭和四一年三月二九日原告らのもとを出奔し、同年四月下旬から同年七月末日まで、被告と同棲したこと並びに原告花子と一郎とが昭和四二年一二月一一日調停離婚したことは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、一郎と被告が同棲するに至った経緯について考える。≪証拠省略≫を綜合すると、次のとおり認定することができる。

1  原告花子と一郎とは、恋愛結婚をした。一郎は、当時書籍商をしていたが失敗し、昭和三一年四月から東京都の教員になった。夫婦の生活は、借財等のためかなり苦しかったが、相互の努力によって、ようやく苦境の時期を切り抜け、昭和三八年ごろには、裕福とはいえないまでも、一応経済的にも安定し、原告緑ら三人の愛児に恵まれ、内在する問題といってなく、平和と幸福に満ちた家庭を作っていた。一郎も、世間並以上のよき父であり、よき夫であった。

2  昭和三五年四月、○○区の○○小学校に勤務していた一郎は、被告の長男孝(四年生)の担任になり、児童の母という関係で被告と知合った。

3  昭和三八年三月、孝は小学校を卒業し、一郎も○○○市に転勤になった。同年六月八日、孝の旧クラスの母親有志が、一郎を招待して謝恩会を開いた。散会後、たまたま一郎と彼告とが二人だけになったが、その際はじめて、両人は、好意を抱いていたことを打明け合った。

4  同年八月はじめ、一郎から被告に対し、愛情を訴える手紙が送られ、被告がこれに応答して、ここに本格的に両人の交際が始まった。

5  同年九月から、一郎は、世田谷区用賀に家庭教師に通うことになったので、その帰途に、週一回位の割合で、被告と落合って喫茶店・食堂等で話合っていた。

6  しかし、まもなく一郎は、単なる友人としての交際以上に、双方の家庭を犠牲にしても、愛情を進展させたいとの提案をし、被告も、次第にその考えに傾いて行き、同年末ごろには、将来の生活設計(家出・同棲)について相談するようになった。勿論、原告らの家庭の状況については、被告は、一郎から再々聞かされて、熟知していた。

7  昭和三九年二月ごろ、一郎は、原告花子に対して、ほかに愛する人がいるから離婚してほしいと申入れ、被告も、哲に離婚を申入れたが、ともに相手方の強い反対を受けた。

8  原告花子は、一郎の愛人が被告であることをつきとめ、哲にも会い、さらに、同年三月二八日被告を訪問して、一郎と別れるよう頼んだが、被告の聞き入れるところでなかった。

9  翌二九日、原告花子夫婦、被告夫婦及び被告の母が、中野区の被告の実家に集って、一郎と被告の問題について話し合った。原告花子も哲も両人が絶縁してくれるよう主張したが、一郎の態度が優柔で、話が進まなかった。結局、両人の交際に反対する被告の母が強く説得したため、一郎は、被告との交際を断念する旨云い切った。しかし、被告は、最後まで一郎との絶縁を承知せず、一郎の右の発言についても、その本心とは信じようとしなかった。

10  三月二九日の会合以後、一郎と被告以外の関係者は、これで解決がついたものと考えたし、原告らの家庭も、もとの平穏さを取り戻した。

11  ところが、一郎は、同年四月上旬ごろ、被告に対して、自分の裏切りでことが挫折したことを詑びて来た。それ以来、一郎と被告とは、双互の配偶者(なお、哲は、同年三月三〇日から単身で名古屋に居住していた。)に秘して、従来のような交際を復活させていた。

12  昭和四〇年一月、被告が○○賞を受賞して、被告の作家としての見通しがある程度立つようになった。そのため、一郎は、家出後に自分の収入を原告らに送金しても、経済的に被告に頼れる状況ができたとして、家出・同棲の件を再燃させ、被告に対して、隠密に準備しておいて、一挙に不倫の既成事実を作り出すことを強く主張した。そして、被告も、徐々に一郎に同調する気持をかため、おそくとも同年末ころには、両人の決行の意思が本ぎまりになった。一郎は、学校に転勤の申出をした。

13  昭和四一年三月はじめごろ、一郎の転勤先が○○区の小学校に決定したので、一郎と被告は、同区○○町にアパート(○○荘)を賃借し、一郎の家出を同月二九日と定めた。一郎は、そのころから、身の廻り品等を少しずつ家から運び出していた。

14  一郎は、同月二九日、原告らに全く事情を告げずに家出し、甲府方面へ旅行した。旅行には被告も同行する予定だったが、被告の家庭内の都合で果せなかった。一郎は、旅先から原告花子に、宛てて、出奔を宣言し、原告花子に重々謝する旨の手紙を出し、同年四月三日から○○荘に入居した。被告は、二人の子をそれぞれ下宿と実家へ移した上、同月二四日ごろから一郎と同棲し、情交関係に入った。

15  その後、勤務先の校長に事情が知れ、一郎に圧力が加えられる等のことがあって、被告は、同年七月末日かぎり、○○の実家へ移転し、両人の同棲生活は終了した。しかし、その後も、両人の交際が継続しており、一郎は、もはや原告らのもとへ復帰する意思を失っている。

以上の事実によると、被告は、一郎の家庭事情を知りながら、同人との交際を次第に不倫な関係へと深め、ついに、同棲して情交関係を継続するに至ったものであり、これによって、原告花子の一郎に対し貞操を要求する権利が侵害されたばかりでなく、原告らが妻としてまた子として享受して来た一郎との家庭生活は、実質上破壊されてしまったということができる。(なお、原告花子と一郎とは、右の同棲から約一年半経って調停離婚をしているが、それは、すでに破綻している夫婦関係が法律的に解消されたことにほかならないから、右離婚によってはじめて原告らの家庭が破壊されたというものではない。)原告花子本人の供述によると、原告らの受けた精神的苦痛は、多大であろうと推測される。特に、原告花子は、長年築きあげた夫婦間の愛情を、自分に責められる事由が全くないのに、他に見変えられたのであって、その精神的打撃は、察するに余りある。

ところで、近代的家族関係は、一夫一婦制を根底とし、通常、夫婦とその未成年の子によって形成される親族共同生活を中核とする。その親族共同生活から醸成される、各構成員の精神的平和・幸福感その他相互間の愛情利益ともいうべきものは、その共同生活が客観的・社会的に定着されたものである限り、それ自体独立して、法の保護に値する人格的利益であると考える。したがって、そのような家族関係を知りながら、夫と不倫関係に入って、夫を親族共同生活から離脱させることによって家庭を破壊した第三者は、妻に対しては勿論のこと、未成年の子に対しても、不法行為者としての責任を負わなければならない。これを、家庭が破壊されても、親子間の権利関係に影響のないことを理由に、未成年の子に対する関係においては、不法行為が成立しないとする見解は、未成年の子の父に対する関係を、実定法上認められる扶養・監護教育・財産管理請求権の総体に過ぎないと解し、愛情利益の実質的部分を看過するものであって、賛成することができない。

被告は、原告らの受けた精神的苦痛に対して、慰藉料を支払う義務がある。

次に、被告は、原告らの慰藉料請求が権利の濫用であると主張する。しかし、被告主張のように、一郎がその収入の大半を慰藉料及び養育費として原告らに送金することになり、そのため、被告が一郎に経済的援助を与えている事実があるとしても、後者の点は、原告らの関知するところでないから、それだけで原告らの請求を権利の濫用というわけにいかない。

そこで進んで、慰藉料の額について判断する。

1  被告は、本件が終始一郎のリードにかかると主張する。なるほど、表面的には、最初の求愛も、不倫行為への提案も、その具体的計画も、一郎の方からされている。しかし、一郎と被告とは、年令・教養においてほぼ同等であり、一応の人生経験と良識とを具えた既婚者同志である。しかも、本件の不倫行為は、情熱に駆られた若年者の盲目的行動とは異り、三十代後半の両人が、二年余の時間をかけて、愛情を深め、逡巡し、挫折し、慎重に計算したあげく、決行しているのである。このような場合、その内実において、一方が終始積極的に誘引し、他方が引きずられるだけであったとは、到底想像できない。また、そもそも、本件では、どちらが強く誘引したかということよりも、後に認定する小説からも窺われるように、作家として自己及び周囲を客観視できるはずの被告が、常識的には、それを抑止すべき反対動機がありすぎる位あったのに、あえて、一郎の誘いを受け入れ、二つの家庭を破壊するような不倫行為に踏み切ったこと自体に、非難の重点が置かれるべきであろう。

被告について、その責任の程度を軽減すべき事情は、認めることができない。

2  被告は、一郎と被告の同棲について原告花子にも過失があると主張する。≪証拠省略≫によると、原告花子は、昭和三九年五月ごろから、○○○市の保育所に勤務し出したことが認められ、その時期は、一郎と被告の関係が公にされた約二ヶ月後に当る。しかし、一郎の反対を押切って勤務に出たという事情も認められないし、一番下の子が三才になった母親が、余裕のない家計を助ける目的で、主婦の仕事のかたわら勤務に出たからといって、責められるべき事柄ではない。また、弁論の全趣旨によると、仮に、原告花子が勤務に出なかったとしても、やはり一郎の家出が防止できなかったことは、明白であるから、その点で、原告花子の勤務と一郎の家出・同棲との間には、因果関係が存しない。

そのほか、原告花子について、過失を認めるべき事情はない。

3  ≪証拠省略≫によると、被告は、本件の不倫関係(但し、時期的には、同棲直前まで)を素材とした私小説を書き、雑誌「○○」の昭和四二年八月号に発表している(当時、本件訴訟が係属していた。)が、この小説を読んで、原告花子がその気持を傷つけられたことが認められる。

これについて、被告本人は、事実とはかなり変えてある、第三者が読んでも、原告らの家庭とは感じないと思う旨供述している。しかし、被告が、その程度の認識で、原告花子を傷つけることがないだろうと考えたとすれば、甚だ浅薄であり、無神経の限りといわねばなるまい。なぜなら、問題は、一般読者がこの小説から特定された原告らの家庭を想像できるかどうかではなく、当事者である原告花子がどんな印象を受けるかということなのである。

右の小説と本件における被告の主張立証とを対照してみると、被告夫婦の家庭がどの程度反映されているかは不明であるが、少くとも、原告花子・一郎・被告の三者に該当する関係については、明らかに、被告自身の体験と心境があらわに跡づけられていて(事実の多少の置き換えなど、本質的なことではない。)、原告花子が本件係争の最中にこれを読んで、屈辱を新たにし、苦痛を増したということは、まことに無理がない。

総じて、本件不倫関係について、原告らの立場に対する被告の思いやりとか罪悪感は、ほとんど認められないし、あるとしても、著しく稀薄である。

4  ≪証拠省略≫によると、原告花子は、現在、保育所の炊事婦として勤務し、その月収約二万七、〇〇〇円(手取)と一郎から送られる養育料をもって、原告緑(中学三年)、同光(小学六年)及び同栄(小学二年)との家計を支えており、他に格別の資産はないことが認められる。

他方、≪証拠省略≫によると、現在、被告の夫哲は、○○○○株式会社の中堅社員としてテヘランに駐在中であるが、被告は、二人の子とともに留守宅である社宅に居住しながら、作家活動をしていることが認められる。そして、被告の資産については証拠がなく、その収入についても、≪証拠省略≫によると、それほど多くはないようであるが、年令的に見て、○○賞作家としてなお相当の将来性を有するものと思われる。

以上の各事項にその他本件に現われた諸般の事情を考慮して、被告の支払うべき慰藉料は、原告花子について二〇〇万円、その余の原告らについて各三〇万円と定める。

よって、原告らの請求中、被告に対して、右各金銭とこれに対する本件不法行為(同棲)の後である昭和四二年二月二三日からそれぞれ完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余を棄却することとし、民事訴訟法九二条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本攻)

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